本年度、第1回目の研修会です。
今回の研修会は、西田 正法老師(栃木県 明林寺住職 前関東管区教化センター主監・元大本山永平寺講師)による講義です。演題は『法式の教化的解釈を試みる。』です。講義は、第一講、第二講、意見交換と、三部に分けて進みました。
さて、まだ講義が始まっていない段階では一体どのようなお話をして頂けるのか見当がつきませんでしたが、今回の研修会も講義が進むにつれ、これまでの《参禅のあり方》に勤しんでいた研修委員会のテーマに、とても通ずるところがあったように感じました。
まずは会場を提供して下さいました第1教区瀧澤寺さまのご本堂で、開講式を行い、その後、講義が始まりました。
第一講では、私の「法式」に対する観念を見直すこととなりました。「法式」と言われ、まず私が考えるのは「法要儀式」です。しかし、西田老師の説明では、「永平清規」などから紐解くと、もともとの法式・作法とは、何か特別なものでは無く、生活における行住坐臥・所作進退といった修行生活の具体的実践法であったということでした。そのような解釈をすれば、なるほど確かに坐禅も「法式」と言えます。その後、法式が「法要」という観念になっていったことについては、「祈祷行法」が盛んに行われる時代があったことを示され、そのような歴史の中での曹洞宗がおかれていた状況などについてもお話し頂きました。また、「仏前結婚式」においての仏法の説き方についてのお話も興味深いものでした。
第二講では、テーマが、「寺院における法式解釈の考察と、教化のあり方を見直すこと」でした。さまざまな例えがありましたが、その中で一貫して説明されていたのは、現代は「納得して頂ける教化」が必要とされている時代であり、それが、寺檀の「和合」を保てる秘訣ということでした。
古式をそのまま教化して良い部分と、見直す必要がある部分の指摘などを、「晋山・結制」などを例にしてご説明頂き、時代の移り変わりを考え、文言の解釈に気をつけて教化する必要があることを説かれておりました。また、坐禅指導においても「形だけ」を指導するのでは無く、その所作の一つ一つにおいても、意味を納得して頂ける教化が必要であることもおっしゃっておりました。
意見交換では、西田老師の笑顔に誘われてか、皆さんも思い思いに疑問を投げかけていました。様々な質問に対して一通りの回答をされた後、最後に「教化は自己満足にならないよう、檀家さんを置き忘れぬよう親切な内容にすることが大切だと思います。「ご納得」頂けるように教化していくということは、嘘がつけなくなるということですから、住職にも檀家さんにとっても良いことですよ。」とお示し頂きました。西田老師にはお忙しい中、また猛暑の中をおいで頂き、貴重なお話を聞かせて頂きまして本当にありがとうございました。青年僧と同じ目線に立ち、ご講話されております謙虚なお姿そのものが、「教化する姿勢」を教わった気が致します。
研修委員会の皆さんも本当にお疲れ様でした。このような素敵なご縁を頂いたことに深く感謝致します。これからも魅力的な研修会を期待しております。
〈Y記〉